海外
アプリリアの本社所在地は、イタリア・ヴェネツィア州ノアーレである。ここで、デザインやマーケティングなど、あらゆる戦略がたてられる。
本社から数キロメートル離れたヴェネツィア州の郊外には、オートバイとスクーターを製造しているスコルゼ工場がある。
このスコルゼ工場は、1997年に拡張と一部建て替えが行われた。生産ラインが8本から11本に増やされ、日産2,500台の生産能力をもつようになった。
本社ノアーレには、物流センターも置かれている。この物流センターは、約70,000平方メートルの敷地面積があり、このうち建築面積は31,000平方メートルにもなる。
ディーラーと顧客に向けたアプリリア製品のアフターセールスサービスを統括するカスタマーサービス本部は、サンタ・マリア・ディ・サーラに隣接する町に置かれている。
アプリリアは、イタリア国内に、正規販売代理店250店と認定販売店800店をカバーし、強固な販売ネットワークを築いている。
また、海外では、フランス、スペイン、ドイツ、オランダ、ギリシャ、イギリス、アメリカ、日本と、子会社8拠点を展開してる。
この他にもアプリリア製品は、1,800のディーラーを通じて29ヶ国で販売されてる。
今後のアプリリアのマーケティング目標は、中国とインドでの市場展開である。
アプリリアは、この2カ国で、これから世界中で生産されるバイクのほとんどが販売されることになるであろうと見込んでいる。
アプリリアの沿革と戦略
アプリリアは、イタリアのヴェネツィア州ノアーレで、カバリエ・アルベルト・ベッジオが、第二次世界大戦直後にに自転車生産工場を設立したことから始まる。 1962年には合資会社にまで発展し、1968年に経営がカバリエ・アルベルト・ベッジオから息子のイバノ・バッジオに引き継がれる。イバノは経営を引き継ぐとすぐに、12人ほどのエンジニアの協力を得て、カリブリ(Colibri)とダニエラ(Daniela)という50ccモペットを制作した。これがアプリリア最初のオートバイである。 その後、1970年代にはモトクロッサーが生産され、1974年には本格的なモトクロッサーを制作した。アプリリアは、このモトクロッサーでレースに参戦する。続いて1975年には、ヒーロー社製のレース用エンジンを搭載したアプリリア初の本格的レーサーが発表された。 レースでの活躍は、アプリリアの名を海外にも知らしめ、輸出台数は生産の20%にも及ぶようになる。 アプリリアは1980年代には、トライアルやロードレースにも参入し、1990年代になると都市コミュニケータージャンルや、大排気量クラスにも進出する。 2002年には、モトグッチ社とラベルダ社を買収、その財政的負担に耐えるため、2006年、Piaggio & C.S.p.A.による買収に応じた。イバノ・ベッジオは名誉会長となり、会長にPiaggio社会長のロベルト・コラニーノ、社長にロッコ・サベッリが就任した。
アプリリアは、1980年代初頭のヨーロッパにおける、オートバイマーケットの危機に対して、イタリアのオートバイ市場は必ず復活するという信念のもと、ラインナップの拡充という戦略をとる。 それまで好調に販売していたモトクロッサーやモペットだけでなく、製品レンジを50ccから600ccまでの排気量で、エンデューロ、トライアル、オンロードバイクにまで拡大した。競合各社が規模を縮小するなか、アプリリアはプロジェクトの研究に明け暮れることとなる。 こうして、1983年に、アプリリア初のロードバイク、「ST125」が発売される。翌1984年には、STを改良した「STX」が発売される。「STX」は、「ST125」のスポーティーさを追求したバイクであった。この頃、アプリリア初のエンデューロマシン、「ET50」も発売される。オンロードとエンデューロカテゴリーは、順調なマーケットを築いていき、製品ラインナップの拡大戦略をとっていたアプリリアの先見性が証明されることとなった。 アプリリアはまた、デザイン面においても、当時としては革新的な試みをする。当時、バイクは赤とシルバーを基調とするカラーリングが一般的であったが、アプリリアはこれまでにない斬新なデザインやグラフィックスタイルのバイクをつくりあげる。 1980年代半ば、「ETX」は市販車として初めて同系統の濃淡色を重ねたカラーリングを採用した。また、このようなカラーリングは、その後「AF1」にも採用された。同じ車体でありながら、カラーリングを変えただけで、まったく別のバイクのように見えるこの手法は大好評を博した。その後ほとんどのメーカーがこの手法を後追いしたことは、アプリリアの開拓したカラーリングとデザインの方向性が正しかったことの証明であるといえる。